情報倫理の意味すること

情報倫理について「情報化が進展している社会において、その情報化の進展に即しながら社会的規範について考える学問である」と考える。理由は以下の通りだ。まず、情報倫理について「情報」と「倫理」に分解して考える。「倫理」とは、「道徳規範」とされることが多い。広辞苑第 6 版によれば、道徳とは「人のふみ行うべき道。 ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている規範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理」とされている。 情報倫理も倫理という名が付いているようにこの定義を応用したもので、したがってある種の規範であるということになる。具体的には、情報化社会における規範を考える学問であるということができる。ただし、「ある社会で」という点で注意が必要で、時代や前提とする条件によって倫理は変わり得るということだ。過去において、例えばギリシャ・ローマ時代の倫理学者が述べてき たことは現代に通じる点もあるかもしれないが、それがそのまま現在も妥当性を保ち続けているとは限らない。情報倫理も同じで、「情報」という言葉に含意される事柄が変化すれば、倫理上検討すべきであると認識される状況も、またその解答も(あるとすれば)変化すると思う。( 567words )

first published work of poetry in English

A poem that my twenty-something self chews on

[ If you look at A too much, you'll lose B ; { ( A , B ) = ( Down , Dream ) ( Up , Reality ) ( Back , Future ) ( Right and Left , Myself ) ( Front , Fellow ) } ] . Just step by step And that's it. Admit it to the poem. It's not that if you do the little things, you can do the big things one day. When you know from the beginning that there are no big or small things, it's a hell of a lot easier to live. The reason we are able to compare ideals and reality is because we have brought a value standard and quantified it. You can't quantify it, isn't there a priceless value that can't be quantified? It's the shit in the shit. We're pulled into a capitalist society where desire is driven, because we see cars in commercials. We're stuck with the values that have been imprinted on us by society for so long. It's a problem with the social system, it's the fault of the society that has imprinted the quantification of value standards. At the very least, I hope you will swallow the fact that you only have one life. Don't run away from who you are. ( 1112 words )

自由ってなんスカ

近況

今週を総括すると「生活が出来ていない」。リアルタイムの講義も出られなくなってしまった、出席はしているが気絶してしまう。まずい。些細なことを気にしてしまい所謂"メンヘラ状態"で男のメンヘラ、オワオワリ( ^ω^)・・・
さて、なにかこ。今週もネタとして哲学の講義を使わせてもらおう。講義にて、教授の作ったカテゴライズの集合から漏れてしまい選ばれず、あーあになってしまった。先週と比して少なめ、少なめです。議題は「自由とは何」。こんなわけわからんやつがちょちょっと「自由」を定義してしまうの申し訳ない(*´Д`)。授業を一切聞かないし録画も見ないのでこの「予習を兼ねた課題」が「大学の講義で取っている哲学の勉強」のすべてとなっている。あー怠惰・虚無~

ぼくのかんがえたじゆうの定義

自由とは責任のことだ。その意味で、人間は自由を恐れる。責任は、自由に伴って発生する負担と言える。逆に、責任の取れない状況では自由は発生しない。責任の定義・範囲については、議論の元となることもある。例えば自己責任を巡る各種の議論だが、私は自由には大きく2つの意味があると考える。1つは、「行為に応じて発生する結果を受け入れる責任」だ。これについてはどこまでの範囲を負うべきか議論が分かれる。J.S.ミルが、『自由論』において「自由の名に値する唯一の自由は、我々が他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしない限り、我々は自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である。」とで述べるように、少なくとも他者の自由を尊重し勝手な振る舞いはしない程度の責任は、必ず負うべきだ。もう1つ重要なのは、「自分のしたことを説明し、何故そのようにしたかを明らかにする(できる)責任」だ。周りの情報や規則、価値基準に委ねている状態では自分のしたことを説明し、何故そのようにしたかを明らかにすることは出来ない。また、説明出来ない単なる思い付きや衝動的な行動も、自由とは呼ぶことは出来ない。( 863 words )

現象学について初めて触った

大学の教養科目で履修している哲学の講義にて

「眼前に映るものは隣の人と同じか」という問いが出された。わたしはこの題について出され、取り組むまで「現象学」という哲学の分野があることを知らなかった。分野として存在を知らなかっただけで、何となく頭に浮かび似た思考をしたことは多くあったので所謂「現象学的態度」というものに感覚はあった。またフッサールの掲げる本質主義直観主義から始まり諸々をある明快な記事があったので目を通した。感想はシンプルで「究極的に直観を明証することは出来なくて、相対主義懐疑主義に陥ってしまうこと、対象への関係が実現されていない意識の働きのことを空虚な意味志向や空虚な意味作用と呼ぶことにするか~はぁ虚」といった感じで、私の壮大で誰も分かってくれないと思い込んだり妄想することは先人、いや昔の暇な「頭の良い」人が考えつくしているだろうという、予てから頭に浮かんでいた「哲学おもしろそうだなぁ~」というこれもまた妄想・思い込みは正しかったということだ。「それなりに」次回の予習も兼ねて冒頭の問いについて考えた(笑)ので「ボクノカンガエタサイキョウノコタエ」を貼っておく。

冒頭の問の筆者の考え

隣の人と見ているものは「同じ」であり「同じ」とは言えない。前者の「同じ」とは主観的・直観主義に則った場合だ。対して後者は客観的・本質主義に則った場合だ。眼前にカバンをありありと「想像する」ような志向と、眼前にカバンを「知覚している」充実された志向では、そのカバンという対象へと向かう志向の充実の度合いにおいて、後者のほうが明証的だ。しかしもちろんこれはカバンという対象への志向が、知覚という直観によって充実されたということであり、眼前にあるカバンという超越的なものの現実的な存在をそのまま証明するものではない。つまり今与えられた感覚与件が、志向性において意味把握的に統握され活性化されたのであり、その限りでこのカバンという対象が与えられたのだ。そして、この志向された対象が対象そのものとして現在的かつ直接に意識あらわれることこそが、対象の明証的な自体能与なのだ。だがこのような明証的な知覚も、その対象すべてがありありと十全的に現れているわけではなく、未だ知覚されていない部分を持っている点や、想起や想像などの準現在的な直観と関係している点において、完全に明証的といえるわけではない。もし対象の現実的な存在の証拠である十全的かつ完全な明証が与えられるとすれば、それは内在的な直観によるものなのであり、外的知覚つまり超越的な直観によってそれが与えられることはなく、超越的な対象の現実的な存在の定立はその可能性が他の可能性に対して「比較的高い」場合になされるという蓋然的なものに留まるのだ。しかしまた、我々の認識の妥当性は根源的には明証を与える直観によってしか確かめることが出来ず、それゆえに明証的直観こそが「一切の諸原理の原理」といわれるのであり、その明証性の妥当性すら、反省的な明証的直観によって誤りを正していくことでしか証明することが出来ない。

はてぶろ始めた

 初めまして
さて、どうしてまた、膨大に時間があるわけでもないのにこのような事 ( ブログ ) を始めたのかについて大きく説明すると...
① : ある程度まとまった ( 区分は不定義 ) 分量の文章を書く機会を得るため
② : 何かしらのサイトの運営、所謂「自分のサイト」を前々からやってみたかった
と、ざっくりこのような感じ。
主に土日にアップロード予定です。ここまで 177 文字( ^ω^)・・・
ではまた